経営者なら必ず押さえるべき!従業員を初めて雇うときの必須手続き完全ガイド
従業員を初めて雇用する経営者の皆様、特に専門の労務担当者がいない中小企業の経営者や一人社長の方へ。
従業員を雇用することは、事業の成長における非常に喜ばしい、そして重要な一歩です。しかし、その喜びと同時に、経営者には労働基準法、社会保険、税金などに関する法律上の多くの責任が生じます。これらの手続きを正確に行うことは、単なる義務を果たすだけではありません。将来起こりうる労務トラブルを未然に防ぎ、従業員が安心して働ける環境を整え、ひいては会社と従業員の強固な信頼関係を築くための不可欠な基盤となるのです。
本ガイドでは、社会保険労務士の視点から、従業員を一人でも雇い入れた際に必要となる手続きを、ステップバイステップで網羅的に解説します。
1. 【ステップ1】入社日までに準備すべきこと:スムーズなスタートを切るための基盤作り
従業員の入社手続きは、多くの方が想像する「入社日当日」から始まるわけではありません。実は、その成否は従業員が初出社する「前」の準備段階でほぼ決まると言っても過言ではないのです。この事前の準備を丁寧に行うことが、その後の行政手続き全体を円滑に進め、新しく迎える仲間に「この会社はしっかりしている」という安心感を与えるための重要な鍵となります。
1.1. 労働条件の明示:トラブルを未然に防ぐ最重要書類
従業員を雇い入れる際、労働基準法に基づき、労働条件を書面で明示することは法律で定められた企業の義務です。口頭での約束は「言った、言わない」のトラブルの元凶となり得ます。
実務上、この義務を果たすための書類として「労働条件通知書」と「雇用契約書」があります。
- 労働条件通知書:企業が従業員へ一方的に通知する書類で、法律上の交付義務があります。
- 雇用契約書:企業と従業員の双方が合意した証として署名・捺印する書類で、法律上の作成義務はありませんが、後のトラブル防止のために強く推奨されます。
最も安全で確実な方法は、これら二つの役割を兼ねた「労働条件通知書 兼 雇用契約書」を2部作成し、会社と従業員の双方が署名・捺印の上、それぞれ1部ずつ保管することです。これにより、双方が労働条件に合意した明確な証拠を残すことができます。
特に以下の「絶対的明示事項」は、必ず書面に記載しなければなりません。
- 労働契約の期間:期間の定めの有無(有る場合はその期間)
- 就業の場所と従事すべき業務内容:勤務地と具体的な仕事内容
- 始業・終業の時刻、休憩時間、休日・休暇:所定労働時間を超える労働(残業)の有無も含む
- 賃金の決定、計算・支払いの方法、締切り・支払いの時期:給与の計算方法、締日、支払日など
- 退職に関する事項:定年制や自己都合退職の手続き、解雇の事由を含む
1.2. 従業員から回収する必要書類の事前案内
入社後の各種手続きを迅速に進めるため、新入社員には以下の書類や情報を入社日までに準備してもらうよう、事前に分かりやすく案内しておきましょう。チェックリスト形式で伝え、なぜ必要なのかを一言添えると、相手も協力しやすくなります。
- [ ] 氏名、生年月日、現住所、住民票住所
- 理由:各種手続きの基本情報となります。現住所と住民票住所が異なる場合は両方確認します。
- [ ] 年金手帳 または 基礎年金番号通知書
- 理由:厚生年金への加入手続きに必須です。
- [ ] 雇用保険被保険者証(以前に雇用保険に加入していた場合)
- 理由:雇用保険の加入履歴を引き継ぐために必要です。
- [ ] 前職の源泉徴収票(同じ年に前職の給与がある場合)
- 理由:年末調整を行い、所得税を正しく計算するために必要です。
- [ ] マイナンバー(本人及び扶養家族分)
- 理由:社会保険、雇用保険、税金の手続きで法律上求められます。
- 注意:マイナンバーは「特定個人情報」にあたるため、その取り扱いには細心の注意を払う義務があります。
- [ ] 給与振込先の口座情報
- 理由:毎月の給与を振り込むために必要です。
- [ ] 扶養家族がいる場合、その方の情報(氏名、マイナンバー、続柄など)
- 理由:社会保険の扶養家族認定や、税金の扶養控除計算に必要です。
- [ ] 緊急連絡先
- 理由:万が一の際に、ご家族へ連絡するために必要です。
これらの事前準備がしっかりと整っていれば、従業員の入社後に行うべき行政への複雑な手続きを、迷いなくスピーディに進めることができます。
2. 【ステップ2】入社後の主要手続き:保険と税金の実務
従業員が無事に入社したら、ここからが行政手続きの本番です。これらの手続きには法律で厳格な提出期限が定められており、遅延は許されません。企業の法的義務を遵守することはもちろん、これらの手続きは従業員の病気やケガ、失業といった万が一の事態から生活を守るためのセーフティネットを構築する上で、極めて重要な意味を持ちます。
2.1. 労働保険(労災保険・雇用保険)の手続き
労働保険は、「労災保険」と「雇用保険」の二つを総称したものです。初めて従業員を雇用する場合、まず会社として労働保険の適用事業所になるための手続きから始めます。
- 労災保険 業務中や通勤の途中で従業員がケガや病気に見舞われた際に、治療費や休業中の生活を保障するための保険です。最大のポイントは、正社員、パート、アルバイトといった雇用形態にかかわらず、すべての従業員が加入対象となる点です。 初めて従業員を雇った際、「保険関係成立届」を雇用開始から10日以内に管轄の労働基準監督署へ提出します。
- この成立届提出後、会社はその年度の労働保険料(労災保険料と雇用保険料)を見込み額で申告・納付(前払い)する必要があります。そのための「労働保険 概算保険料申告書」を、保険関係が成立した日から50日以内に提出・納付します。これは最初の従業員を雇用した際に行う重要な手続きです。
- 雇用保険 従業員が失業した際の失業手当や、育児・介護で休業する際の給付金の源泉となる、生活保障のための保険です。 加入には要件があり、「1週間の所定労働時間が20時間以上」かつ「31日以上の雇用見込みがある」従業員が対象となります。個別の従業員ごとに行う手続きとして、「雇用保険被保険者資格取得届」を、従業員を雇い入れた月の翌月10日までに管轄のハローワークへ提出する必要があります。
2.2. 社会保険(健康保険・厚生年金)の手続き
社会保険の手続きは、すべての手続きの中で最も優先度が高いものと認識してください。なぜなら、この手続きが完了しないと、従業員本人やその家族の健康保険証が発行されないからです。病気やケガはいつ起こるかわかりません。従業員に一日でも早く安心を届けるため、迅速な対応が求められます。
- 提出書類:「健康保険・厚生年金被保険者資格取得届」
- 提出期限:入社日から5日以内(非常に短いため要注意)
- 提出先:管轄の年金事務所または健康保険組合
扶養家族がいる場合は、「健康保険被扶養者(異動)届」も同時に提出します。
2.3. 税金(住民税・所得税)に関する手続き
給与を支払う企業には、従業員に代わって税金を納める「源泉徴収義務」があります。
- 住民税 従業員の住民税は、原則として会社が給与から天引きして納付する「特別徴収」が基本となります。中途入社の社員の場合、前職の会社から発行された「給与所得者異動届出書」を受け取り、必要事項を追記して市区町村の役場へ提出します。 ここで最も重要な注意点は、提出先です。従業員がその年の1月1日時点で住民票を置いていた市区町村に提出する必要があります。例えば、5月に引っ越していたとしても、1月1日時点の住所地の役所が提出先となるため、間違いのないようにしましょう。
- 【実務のプロのヒント】 給与計算の締切が迫っている場合、異動届の備考欄などに「給与計算のため、決定税額を電話でご連絡ください」と一筆添えておくと、市区町村によっては通知書の発送前に電話で税額を教えてくれることがあります。急ぐ際には有効な手段です。
- 所得税 所得税については、行政へ直接何かを届け出るわけではありません。会社が行うべきは、毎月の給与から天引きする所得税額(源泉徴収税額)を正しく計算するための準備です。そのために不可欠なのが、従業員から「給与所得者の扶養控除等(異動)申告書」を回収することです。この書類に記載された扶養家族の状況などに基づき、税額が決定されます。
これらの行政手続きと並行して、法令を遵守し、健全な労務管理を行うためには、社内での管理体制をしっかりと整備することが求められます。
3. 【ステップ3】社内管理体制の整備:法令遵守と業務効率化のために
行政への届出を完了させるだけでは、企業の責任を果たしたことにはなりません。労働基準法を遵守し、従業員の労働状況を適切に管理するためには、社内の記録管理体制を整えることが極めて重要です。これらの帳簿や協定は、いわば健全な労務管理の土台そのものです。
3.1. 法定三帳簿の作成と保管義務
労働基準法は、企業に対して以下の3つの帳簿を作成し、適切に保管することを義務付けています。これらは「法定三帳簿」と呼ばれ、労働基準監督署の調査などでも必ず確認される重要書類です。
| 帳簿名 | 目的と主要な記載内容 |
| 労働者名簿 | 従業員の基本情報を管理するための名簿。氏名、生年月日、住所、雇入年月日、退職年月日とその理由などを記載。 |
| 賃金台帳 | 給与支払いの状況を記録する台帳。労働日数、労働時間数、基本給や手当の種類と額、控除額などを正確に記載。 |
| 出勤簿 | 労働時間を客観的に記録するための帳簿。出勤日、始業・終業時刻、休憩時間を日々記録。タイムカードもこれに該当します。 |
これらの法定三帳簿は、労働者が退職、解雇または死亡した日から3年間(将来的には5年に延長予定)の保存が法律で義務付けられています。 給与計算の基礎となるだけでなく、従業員の働き方を会社が客観的に把握している証明にもなりますので、確実に整備・保管してください。
3.2. 残業の前提となる「36協定」の締結・届出
従業員に法定労働時間(1日8時間・週40時間)を超えて労働させる、いわゆる「残業」や、法定休日に労働させる場合には、事前に「36協定(さぶろくきょうてい)」を従業員の代表者と締結し、管轄の労働基準監督署へ届け出ることが法律で義務付けられています。
「うちは残業なんてほとんどないから」と考えるのは危険です。1秒でも残業させる可能性があるならば、36協定の届出は必須です。突発的な業務が発生した際に、意図せず法律違反を犯してしまうリスクを避けるためにも、初めて従業員を雇い入れたタイミングで届け出ておくことが、経営者としての賢明な判断と言えるでしょう。
ここまで解説してきた多くの手続きを前に、何から手をつければ良いか迷うかもしれません。そこで次に、実務で迷わないための具体的なアクションプランを整理します。
4. 手続きの優先順位とタイムライン:タスク管理のチェックリスト
ここまで多くの手続きを解説してきましたが、いざ実践するとなると「結局、何から始めればいいのか?」と混乱してしまうかもしれません。ここでは、各手続きの優先順位と期限を時系列で整理し、具体的なアクションリストとして提示します。このリストに沿って進めることで、抜け漏れなく、効率的にタスクを完了させることができます。
- 社会保険の手続き(健康保険・厚生年金)
- 期限:入社日から5日以内
- 理由: 従業員の目線に立てば、健康保険証を一日でも早く手元に欲しいと思うのは当然です。万が一の病気やケガへの不安を解消するため、これが最優先タスクです。
- 【最初の従業員雇用時のみ】労働保険の新規セットアップ
- ① 保険関係成立届の提出
- 期限:初の従業員を雇用した日から10日以内
- 理由: 会社として労災保険・雇用保険の適用事業所になるための第一歩。すべての労働保険手続きの前提となります。
- ② 概算保険料申告書の提出・納付
- 期限:保険関係成立の日から50日以内
- 理由: その年度の労働保険料を概算で納付するための手続き。①とセットで完了させる必要があります。
- ① 保険関係成立届の提出
- 【従業員ごと】雇用保険の手続き
- 期限:入社した月の翌月10日まで
- 理由: 従業員の失業時や育児・介護休業時の生活を守るための重要な手続きです。
- 住民税の「特別徴収」への切替手続き
- 期限:市区町村により異なるため、分かり次第速やかに
- 理由: 最初の給与計算までに税額を確定させるため、早めの対応が望ましいです。
- 所得税関連の書類回収
- 期限:最初の給与計算まで
- 理由: 初回の給与から源泉徴収税額を正しく計算するために「扶養控除等申告書」が必須です。
5. まとめ:専門家を活用し、経営に集中できる環境を
従業員を一人雇うということは、事業を成長させる大きな力となる一方で、これまで見てきたように、非常に多くの法的責任と実務手続きを伴います。一つひとつの手続きは複雑で、厳格な期限も設けられています。
しかし、これらの手続きを適切に行うことは、法令を遵守するだけでなく、従業員に安心感を与え、働きがいのある職場環境を築くための第一歩です。それは紛れもなく、企業の持続的な成長を支える重要な経営活動と言えるでしょう。
もし、あなたがこれらの煩雑な手続きに時間を取られ、本来注力すべき事業の成長や顧客との関係構築といったコア業務に集中できないと感じるのであれば、専門家である社会保険労務士に相談することも有効な選択肢です。専門家に任せることで、法改正にも迅速に対応でき、正確かつ効率的に労務管理を行うことが可能になります。
経営者であるあなたの貴重な時間を、事業の未来を創るために最大限活用してください。そのための環境づくりを、私たち専門家がお手伝いします。



